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香港「逃亡犯条例」改正案反対デモ。日本人が知らない香港の事情を徹底解説!

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NORI
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どうも、管理人のNORIです。

連日のように日本でも大々的に報道されている香港のデモ。

200万人ともいわれる多くの香港市民が参加し、市民に発砲する香港警察の写真などセンセーショナルな写真や動画がSNS上で多くシェアされています。

しかし、あまりに過激な写真に隠れてこのデモの背後関係や事情などが正しく報道されていないと感じました。

香港の歴史、中国との関係、香港の民主主義、今回のデモの背景などを解説します。

そもそも皆さんは香港とはどういった地域かご存知ですか?

香港で今起きていることを知るには歴史を紐解く必要があります。

そこから解説をしたいと思います。

アヘン戦争から第二次世界大戦

まず時は19世紀に遡ります。

当時の中国大陸は満州族が治める清という国家が存在していました。

19世紀は航海技術の発展により西欧列強がアジア諸国に勢力を伸ばし、清国は当時世界の覇者であったイギリスとアヘン戦争

起こします。

この戦いに敗北した清国は香港島をイギリスに割譲しました。

アヘン戦争の後、太平天国の乱もあり清国は西欧列強に次々と蹂躙され、アロー号事件がもとで九龍半島も割譲

イギリスによる植民地経営がはじまりアヘン貿易、中継貿易として発展していきます。

さらに1898年にはイギリス領以外の九龍半島を99年租借することが決定。(現在の香港領域)

99年という「ほぼ永久」ともいえる年月をイギリスが統治することになります。

第二次大戦中は日本による占領統治期間もありましたが、戦後は再びイギリスが統治します。

戦後から返還まで

その後、香港はイギリス統治のもとで国際金融都市として発展していきます。

中国大陸は中国共産党による中華人民共和国が成立します。

社会主義国とは対極の西側のイギリスに統治された香港は物流拠点の基地から急速に経済が発達しNIEsの1つとして発展します。

中国(中華人民共和国)も、文化大革命や大躍進政策の混乱の後、鄧小平により改革開放が始まりました。

一方、1997年の租借期限を迎えるイギリスは中国と返還交渉を行い、中国の強硬な態度により返還が決定。

天安門事件による不安から国外へ脱出する香港人も多い中、不安と歓喜が交錯する中、1997年に香港が返還されます。

返還後、50年は香港の法律・経済制度を維持すると定めた「一国二制度」という高度な自治を保障する形で現在の香港、中華人民共和国特別行政区香港になりました。

②中国大陸とは違う「香港」

このように、社会制度が異なる地域が1つの国に存在しているのです。

香港は国防や外交権などは持っていませんが、経済社会分野の条約や国際会議には参加や締結が参加できます。

公用語は英語・広東語、紙幣も香港ドル、パスポートも違うなど本土と違っています。

法律にも中国の法体系とは違うイギリスの法体系があり、また結社の自由や言論の自由も保証されています。

また、天安門事件の追悼ができない本土と違い香港では追悼式典ができる中国では特異な地域であります。

このように共産主義国家の中国と違う民主主義が認められている香港ですが、この香港の「民主主義」が常に大きな議論になってきました。

③いびつな香港の「民主主義」

香港には民主主義はありますが、完全な民主主義は存在しないと言えます。

その理由は、行政長官と立法府議会の選挙です。

行政長官は香港のトップですが、その選挙は1200人の選挙委員会から選出されることになっています。

選挙委員会は各政財界などの代表から構成されていて、この委員会から行政長官が決まります。

間接選挙の一種ではありますが日本のようにすべての選挙で信任を得た国会議員から総理大臣を選出する仕組みではなく、なかなか民意が反映しづらい仕組みとなっています。

さらに選挙委員会には親中派(中国寄り)の委員が多く、行政長官は中国が決めるといっても過言ではありません。

立法会議員選挙の定数は70人で半数が直接選挙、半数が各種団体によって選出されます。

この様に香港の民主主義は、日本と違い不完全なシステムです。

あくまで、「中国の中の香港」として政治は中国の影響を大きく受けます。

そして香港の憲法である香港基本法の改正は中国の全人代の批准が必要となっています。

行政長官選挙に反発したのが「雨傘運動」

このような政治システムのもとでは市民が民意を伝える手段は少なく、大規模なデモがたびたび発生します。

記憶に新しい2014年の反政府デモ「雨傘運動」は行政長官選挙をめぐる抗議運動でした。

行政長官選挙に1人1票を投じる普通選挙が行われる予定でした。

ところが、全人代は行政長官候補は指名委員会の過半数の支持が必要であり、候補は2-3人に限定する内容でした。

この改正案を巡り、候補者に1人1票のもと真の普通選挙を求めデモが展開されました。

結果としてデモは強制排除されましたが雨傘運動を指導した学生メンバー達は影響力を持つようになり、今回の100万人デモに繋がります。

④デモのきっかけは1人の香港人の過ちだった

今回起きた「逃亡犯条例」改正案反対デモのきっかけはメディアであまり報道されていませんが、きっかけは1人の香港人の過ちです。

2018年2月に台湾に旅行中だった香港人カップルの男性が女性を台湾で殺害。殺害後、香港に逃げ込みます。

現行の逃亡犯条例では、香港から中国やマカオ、台湾では逃亡犯を引き渡しすることができません。

これに対して、香港政府は逃亡犯を台湾だけでなく中国にも引き渡しをする条例の改正を検討しました。

しかし、この条例により反中国的な人も中国に送られ、不透明な司法のもとで裁かれてしまえば香港が持つ自由がなくなる。

その事がデモの背景にあります。

事実、2015年には習近平政権に批判的な書籍を販売した書店の関係者が中国国内に拉致され、取り調べを受けたいわゆる「銅鑼湾書店事件」が起きています。

「香港が香港でなくなるという」強烈な意識が市民をデモに駆り立てたのです。

勿論意識だけではありません。

完全な民主主義がない香港では、投票ではなくデモが大きな民意を示す方法となっています。

逃亡犯条例を改正させないため、人口約700万人のうち、100万人、200万人ともいわれる大勢の市民がデモに参加。

警察と衝突し死亡者がでる激しいデモが展開され、逃亡犯条例は審議延期になりました。

香港のデモ活動は、撤回を求めていまだに継続されています。

⑤香港はどうなる?「一国二制度の行方」

この様に中国大陸と違う歴史を持ち、「自分たちは香港人だ」というアイデンティティーを持つ香港。

今回のデモは、香港人のアイデンティティーの強さが現れたデモだったと思います。

しかし、私は今後も香港ではデモが起きますが緩やかかつ確実に香港は中国の1地方都市として吸収されていくと感じます。

理由として、まず香港の優位性が無くなった事です。

返還当時、「金の卵」を産む香港でしたが中国本土の急速な経済発展によりその優位性は低下。

中国政府にとって一国二制度を維持するメリットがなくなってきたのです。

また、港珠澳大橋、広深港高速鉄道により中国本土と結ばれた香港。

中国政府は広州市、マカオ、香港、深センを繋ぐ巨大都市圏「珠江デルタ」を世界最大級の都市圏にする計画を着々と進めています。

香港の未来は?

では、香港の未来はどうなるでしょうか?

未来予測は困難ではありますが、中国本土と香港との確執はこの後もたびたび起こると思います。

中国化されていくことで起こる香港の反発を強引に封じれば血を流し国際的な批判が沸きます。

その様な事態になれば世界は香港を支持するでしょう。

一国二制度の綻びが見えるようであれば、似たような状況を抱える台湾にまで影響が及び強烈な反発が生まれてしまう。

中国としては難しい局面にたたされていると思います。

2047年香港の未来はどうなっていくのでしょうか。

NORI
NORI
いかがでしたでしょうか。

香港でデモが起きるのは政府への不満もありますが、それ以上に民意を示す手段が限られているのが理由となっています。

一方、日本ではそういった制約がなく自由な投票のもと選挙をする事が可能です。

民主主義は独裁者を生み出したり、混乱を招いたり、政権が判断を誤るという事はよくあります。

しかし、それでも投票で政治を動かす事ができるというのは凄い権利だと思います。

ブログを最後まで読んで頂きありがとうございました。

このブログのシェアをよろしくお願いいたします。

 

この記事を書いた人

NORI

生粋の道産子。目標は社会をより良くすること。現在32歳。大学卒業後、インフラ企業に就職。約9年働く。退職後、現在は中国在住。総合旅行業務取扱管理者、柔道初段など資格多数。旅と音楽とボランティアが好き。

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